東京オリンピックが中止になろうが特に関心はありません

人生哲学

連日ニュースで報じられている「新型コロナウイルス」

「今日はどこそこで感染を確認」と毎日ニュースで流れていたら、もう慣れてしまって大して驚かなくなってしまいました。

果たしてここまで大騒ぎするようなことなのかと疑問に思うこともありますが、この「狂想曲」はしばらく終わりそうにありません。

マスク、トイレットペーパーの品不足、学校の臨時休校、プロスポーツの中止・無観客試合、株価の暴落などなど話題は尽きませんが、多くの人が懸念しているのが今年の夏に開かれる「東京オリンピック」でしょう。

政府は中止論の火消しにやっきになっているようですし、ウイルスの検査数を抑えているのはオリンピックのために患者数を少なく見せるためだなどというウワサが立つくらいです。

とはいえ、私個人としては東京オリンピックが開催されようが、中止されようがいっこうに関心がないのです。だって、私の人生とは何の関係もないのですから。

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レガシーで残るものって何?

私は、積極的に開催しろとも中止しろとも言う気はありません。そもそも興味も関心もないのです。選手として出場するわけでもなく、オリンピックの機会をとらえてカネ儲けをするつもりもない。

単純に「部外者」でしかないのです。

それに東京でやる意味はあるのかなァなどと考えているくらいで、コンクリートジャングルの東京なんかより、アジアとヨーロッパが交わる古都イスタンブールのほうが趣があってよかったんではないかとも思っているのです。

「オリンピックのレガシー」などとカッコイイことを言っていますが、一体何が残るのでしょう。

せいぜい2~3週間の「祭り」のために、何千億円というカネを使った挙句、残ったのがトイレの便座みたいな国立競技場と、そして「勇気と感動」ではアホらしくならないのだろうか。

開催されたら「うるさい」だけ

それに、開催されれば、テレビや新聞は朝から晩まで狂ったように、

オリンピック、オリンピック、オリンピック!!

の大絶叫が起こることでしょう。

そして、決まったように選手たちの表には見えない「裏の物語」を語り始めることでしょう。

こんな挫折を乗り越えてきたとか、選手を支える家族の絆がどうとか、世話になった恩師の話(すでに亡くなっていたら、より感動的になる!)などなど。

実況と言いながら余計なことを言うアナウンサーばかりです。先に挙げたようなどうでもいいエピソードを交えながら、勝てば絶叫し、明らかに劣勢でも「チャンスはありますよ」と持ち上げ、負ければ「次につなげてほしいですね」などとのたまう。

どうやらこの国では、あらゆることを前向きにとらえなければならないらしい。

そして、最後には「勇気と感動をありがとう」と来るのですから、ご苦労さんという感じ。

連日ウルサイこと間違いなし。それなら、テレビもネットも見なければいいとなりますが、さすがにそうもいかず、ただでさえ暑い夏なのに、さらにまた暑苦しくなりそうです。

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結局ヒマつぶしでしかない

結局オリンピックなどというものは、多くの人にとって「ヒマつぶし」でしかないのです。

選手やビジネスで儲けようとしている人を除けば、大して意味があるものではないのです。ヒマつぶしのために、そこにある物語を消費するためだけに用意された壮大な無駄といってもよい。

オリンピックが開催されようが、中止されようがほとんどの人には関係ないのです。中止されればおもしろいネタがなくなるくらいで。

だから、みんな新型コロナウイルスの影響で東京オリンピックが中止されるかもしれないということを深刻に心配しているのが不思議です。どうせ、中止になっても「残念ですぅ~」って言うだけなのに。

個人的には中止になって、静かな夏になるのも悪くないかなァなどと思ってみたり(不謹慎?)

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