「進化論」でセミリタイアを考えてみる

書評

最近、こんな本を読みました。

『「読まなくてもいい本」の読書案内:知の最前線を5日間で探検する』(橘玲著)

橘さんの著作は、とてもわかりやすくてよく読んでいます。前は、どちらかというと「資産運用」や「投資」といった経済関係のイメージが強かったです。例えば「お金持ちになるための黄金の羽根の拾い方」は有名です。

書評『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』を読んだ感想
この本を読んだことで、お金に対する感覚というか考えが前とは変わったような気がします。つきつめて考えれば、お金というのは「利回り」で考えるということ。株の利回りはいうまでもなく、不動産の家賃も利回りです。そして、利回りからお金の現在価値が導き出される。

実はお金の話だけではなく、幅広い分野の知識ももっておられます。それが余すところなく発揮されているのが、今回読んだ本です。

この本では、ゲーム理論や脳科学など「知の最前線」が紹介されていますが、それらのベースにあるものとして捉えられているのが「進化論」です。

この本を読んでいて、人間がいかに「進化」の結果生まれたものであるかがよくわかります。

我々の行動、考え方が進化論の結果(つまり遺伝子)の影響を免れないのならば、「セミリタイア」という考えに至った私は進化論的に考えるとどうなんだろうと考えた次第です。

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人間の「心理」も進化の結果

進化論によれば、生物というのはいかに遺伝子のコピー(つまり子孫)を残すかという1点のために存在しています。生物というのは、遺伝子を運ぶための乗り物に過ぎないという考え方もあるほど。

進化とは、遺伝子を残すため・生き残るために最適化してきたということです。これは肉体的な機能はもちろんのこと、我々の「こころ」も例外ではありません。

例えば、人間は、気持ちのよいこと、気分のよいことを好ましいこととする一方で、不快なことを避けようとします。

「おいしいもの」はたくさん食べることになって栄養状態がよくなり生き残る可能性が高くなりますし、衛生状態の悪いことを不快と感じなければ感染症で病気になってしまいます。

進化の過程の中でそのような感覚を発展させてきたと考えられます。つまり、「快」を求めて「不快」を避けようとするのは、遺伝的に組み込まれた本能なのです。

会社というストレスの総合商社

そう考えると、「セミリタイアしたい」という気持ちも進化論的に捉えれば、至極”まっとうな”結論なんではなかろうかと思うわけです。

会社なんてストレス・不快のオンパレードです。

狭い世界での人間関係、仕事のプレッシャー、片付かない仕事、組織間の板挟み、残業、飲み会、長距離通勤・・・日常のストレスのほとんどが会社にあるのではないかと思うほど。

不快や不安に感じるのは、それが生命の危険に通じると脳が(引いては遺伝子が)判断しているから。

生命の危険を回避するために、それを避けようとするのは当然の帰結です。

遺伝子の最終目標はコピーを残すことですが、コピーを残す前に息絶えてしまっては元も子もありません。とにかく、目の前の「不快」を回避して生き延びなければなりません。

そして、会社を辞めたいと思うことになるのです。

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寿命も長すぎる?

人類という生物が地球に現れてからまだ数万年ほど。文明ができてからはまだ数千年というところです。

当然のことながら、我々の肉体や精神のプログラムは原始人のころのままです。原始時代の暮らしに最適化した状態なのです。

もしかしたら30~40歳くらいでセミリタイアしたくなるのも、そのせいかもしれません。

つまり、たぶん原始人に比べて現代人が長生きしすぎ。原始人の寿命って、たぶん30歳くらいだったんではないかな。

遺伝子的にそれ以上長生きすることを想定していないのかも。原始人でいう40歳くらいってもう人生の最終盤ですもんね。最後は気ままに生きたいと思うような脳になっているのかななどと考えてみます。

進化論を使ってセミリタイアを正当化してみましたが、まあ理屈はどうでもいいか。

書評
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会社に行きたくない~セミリタイア15ヵ年計画~