セミリタイアを意識するようになって社会問題への関心がなくなりました

人生哲学

テレビや新聞では、数々の「社会問題」が語られています。

昨今では、新型コロナウイルスの関係が多いですね。検査体制がどうだとか、経済への影響がどうだとか、支援策がどうだとか・・・

ほかにも、最近のトピックスでは検察庁の国家公務員の定年延長の話など。ツイッターでの抗議の投稿が多いらしく、一般の人も関心が高いんだなあと感心しました。

新聞やテレビでは、専門家や評論家が侃々諤々の議論をしています。ただ、私はそれをボーっと見ながら、「なんで、みんなそんなに一生懸命議論しているんだろうなァ」と思ってしまうのです。

テレビの評論家やコメンテーターなどは、ある意味そういう「芸」として半分お仕事のためなんだろうなとは思いますが、それでもけっこうみんな「真剣」です。

そして、ツイッターでは一般の人もたくさんの議論が行われています。

私にはこれが不思議でしようがない。みんなそんなことに時間を使ってもいいのかなあと思うのです。

なぜなら、みんなどうせ死んでしまうのに、そしてどうせ人類も絶滅するのに、そしてどうせ50億年もすれば地球もなくなってしまうから。

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「明日死ぬかもしれない」ことより重要な問題はない

みんな「さしあたり」重要な問題のことを大真面目に議論しているのです。

そして、その問題を私やあなたが考えなければならない理由など、どこにもないのです。

そんなことのために、人生の貴重な時間を使おうとは思わないのですが、どうでしょうか。

次のように語る中島義道氏の言葉に心から共感します。いずれも「人生を<半分降りる>」から。

もうじき死んでしまいそうな老人たちが、10年後の大学問題、20年後の人口問題、30年後のエネルギー問題等々を、演技ではなく大真面目に論じているのを不思議な気持ちで見ている(略)

首都移転問題を審議している老人たちは、もうじき死んでしまうのに、そして自分が死んだあとに実現される首都移転の審議に膨大な時間を割いて、それでいいのかなあと思います。どうしても錯覚ないし自己妄想としか思われませんが。

「首都移転問題」をほかの社会問題と入れ替えてみても同じです。次のように語る中島氏の言葉も的を射ています。

行政改革や選挙改革、大学改革や教育改革、医療改革や老人介護問題どれをとっても「明日あなたは死んでしまうかもしれない」こと以上に重要なことではありません。

人生で何をすべきではないか

セミリタイアを目指す動機は、「自分の時間」をどうでもいいことに消費してしまいたくないからです。

できるだけ仕事はしたくないし、飲み会にも行きたくないし、会社の同僚の結婚式にも行きたくない。でも、各地を巡る旅行には行ってみたいし、ブログも時々書いていきたい。いろいろな本も読みたいし、ときどき映画を見に行くという私の中でのちょっとした贅沢も辞めようとは思わない。

これらのことは、本当に「些細な個人的なこと」に過ぎません。少子高齢化問題や環境問題やエネルギー問題などと比べれば、いかにもレベルが小さい。

ただ、「人生で何をすべきか」という大きな問題の答えは、正直言って答えるのが難しい。でも、何をすべきではないかは意外と簡単です。

もし、「明日死ぬとしたら」と考えてみれば、この世界の大仰なことは頭に浮かばず、先ほどあげたような「些細なこと」が全面に出てくるのではないでしょうか。

人生には誰でも終わりがあります。時間が限られています。余命50年かもしれないし、余命20年なのかもしれない。それは人それぞれですし、いつ「その時」が来るかは本人にも分かりません。明日かもしれない。

そう考えると、つまりそれがセミリタイアしたいという動機でもあるのですが、社会の大きな問題を真剣に考えるのが「アホらしく」思えてくるのです。

だって、「明日死ぬ」としたらそんなこと、どうでもいいではないですか。きっとテレビでエラそうに意見を述べているコメンテーターたちもそうなるんではないかなあと思うのです。

セミリタイアしてしまえば、さらに社会への関心はなくなると思います。ほとんど社会から独立してしまうことになりますし、せっかく確保した「人生の時間」をどうでもいいことに使う気はさらさらありませんから。

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会社に行きたくない~セミリタイア15ヵ年計画~