セミリタイアの真の目的は「人生を愉しむこと」だと思う

セミリタイアの考え方

新年度を迎え、私の会社員生活も8年目に突入しました。もう、8年目かという思いと同時に、あと8年も働けるだろうかという思いがよぎります。

現在のセミリタイアの目標は、およそ10年後の40歳くらいで達成できたらいいなという感じですが、当然のことながら、できれば少し早めたい。

あと8年働けば、勤続15年となるので1つの節目になるんではないかなと思っています。それで、「あと8年」というわけ。

新年度を迎え、また1年の仕事が始まるわけですが、ここで改めてセミリタイアを目指す「真の目的」とはなんなのか、について記してみたいと思います。

「新年」とか「新年度」というと、なにかと「初心」を忘れずにと言うではないですか。セミリタイア計画も「初心」が大切なのは同じなのですから。

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「会社を辞める」は手段でしかない

セミリタイアするということは、早い話が「会社を辞める」ということです。より正確に言えば、フルタイムで働くのを辞めることです。

「セミ」とついていることから、バイトやパートなどの短時間労働は想定しているのが一般的ではないでしょうか。

ただ、それもあくまで生活費の足しにするというレベルで、基本は資産の運用による配当金や取り崩しで生活を維持することになると思います。

とはいえ、セミリタイアしたいという目的の大きな動機が、会社を辞めたいということには違いないでしょう。

では、なぜ会社を辞めたいのか。

まあ、仕事が嫌で嫌で仕方がない(私です)というのが大きいのですが、この裏にある真の意味を考えてみるに、「最も価値あるものは時間」という意識があるのです。

思えば、会社に勤めているとなんと多くの時間を奪われていることか!

毎日満員電車に乗せられ、どうでもよい資料を作らされ、どうでもいい会議に出席させられ、どうでもいい議事録をつくらされ、どうでもいい作業をさせられ、どうでもいい飲み会に参加させられ・・・もう、止めておきましょう。

要するに、有限である人生の時間の大部分が会社に勤めることによって、どうでもいいことに費やされてしまうのです。これらのことは、生活費を稼ぐという意味のほかは、自分の人生とはなんの関係もないことばかりです。

それを端的に指摘したのが、古代ローマ時代の哲学者セネカです。彼はこんな言葉を残しています。

我々は短い時間を持っているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。

生きることをやめる土壇場になって、生きることを始めるのでは、時すでに遅しではないか。

セミリタイアすることによって、社会的には「有益」とされていることから「足を洗う」ことができます。私が会社を辞めたって、誰かがその代わりをするだけ。私でなければならない理由など、どこにもないのです。

会社を辞めるというのは、あくまで手段でしかありません。会社を辞めることによって、「自分の時間を取り戻す」ことが真の目的なのですから。

せっかくならば人生を愉しみたい

では、自分の時間を取り戻してどうするのか。

仕事のストレスに苛まれることなく、家でゴロゴロするのもいいのですが(これはこれで魅力的です)、せっかく時間があるのですから、人生を愉しむことに使いたいものです。

それに、人間というのは、ヒマになると何かをせずにはいられないものです。

私は、セミリタイアしたあとにしてみたいことの一つに、いろいろな場所を旅してみたいと思っています。国内はもちろん、海外も。

セミリタイアした後はいろいろな場所を旅してみたい
私が考えているのが「旅」をするということです。日本国内はもちろんのこと、予算が許す限りは海外にも行ってみたいですね。家と職場を往復する生活からオサラバしたのですから、どこか遠くに足を延ばして、いろいろなところを自分の足で歩き、見てみたいと思うのです。

当然のことながら、お金との相談になりますが、計画的に予算の許す範囲内で行けたらいいなと思っています。

せっかくセミリタイアしたことによって、既存の価値観を脱して新たな世界へと踏み出したのです。もっと、広い世界を見てから死にたいではないですか。

月並みですが、どうせ死ぬならしたいことをして死にたい。つまりは、人生を愉しみたいのです。

最後に、古代ローマに生きた一詩人マルティアリスの詩をどうぞ。マルティアリスに相談すれば、きっと今すぐ会社を辞めろと言われるんだろうな。

ーポストゥムスにー

人生を愉しむのは明日からにしよう、だって?それでは遅すぎる、ポストゥムスよ。愉しむのは今日からであるべきだ。いや、より賢明な生き方は、昨日からすでに人生を愉しんでいる人の生き方ですよ。