セミリタイアしても「幸福」になれるわけではない

セミリタイアの考え方

セミリタイアすると、「幸福」になれるのであろうか?

もちろん、キツイ労働や、イヤな人間関係から解放されることは、喜ばしいことでありましょう。しかし、それがイコール「幸福」とは、必ずしも言えないのではないか。

私がよく読む中島義道氏の著書に「不幸論」というものがあります。

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結局どのように生きようとも「幸福」にはなれない、「幸福」とはものごとをよく考えず、そう思い込んでいるだけの錯覚でしかないという論なのですが、確かにそうかもしれないなあと思います。

今回は、氏の考えに沿ってセミリタイアと幸福について考えてみたいと思います。

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「幸福」の要件

「幸福」と一口に言っても、その定義はあいまいです。よく考えてみれば、なにを持って幸福というのであろう。

氏は、幸福の要件として次の4つを上げています。

  1. 自分の特定の欲望がかなえられていること。
  2. その欲望が自分の一般的信念にかなっていること。
  3. その欲望が世間から承認されていること。
  4. その欲望の実現に関して、他人を不幸に陥れない(傷つけない、苦しめない)こと。

このうち4が最もハードルが高い。一見、他人に迷惑をかけていないと思えてもそれはものごとをよく考えていないのです。

日常的なレベルに限定しても、だれも苦しめまいと思えば、われわれは何もできないであり、いや積極的に何もしなくても、生きているだけでだれかを苦しめるのである。

例えば、世間的に評判のいい会社に就職できればそれは「幸福」であろう。しかし、自分が採用されたことで、その会社への就職を望みながら就職できなかった者を不幸にしている。

つまり、上記4項目が満たされることが「幸福」の条件だとすれば、それは事実上不可能なものなのです(つまり結局氏の結論はそれなのですが)

「幸福」というのは、物体をどんなに加速しても光速に決して達しないように、この世に数学的に正確な正三角形が存在しないように、絶対に到達できないものなのです。

そして、「自分は幸福だ」と思っている人は、単なる「怠惰」な思考のための錯覚でしかないのです。

セミリタイアと幸福

結局、どう生きようが「幸福」にはなれないので、セミリタイアしようがしまいが結局「幸福」ではないということになります。

ただ、なぜ、この4項目が満たされていれば「幸福」と言えるのかについては、氏は説明してない(唐突にこの4項目を上げている)点は疑問がありますが、とりあえずこの項目でセミリタイアについて考えてみたいと思います。

セミリタイアについて考えてみれば、1は分かりやすい。「会社に行きたくない」「できるだけ働きたくない」という欲望がかなえられています。

2についても自分の信念にかなっていることでしょう。具体的には、できるだけ自由な時間がほしい、自分の時間を大切にしたいという信念です。

が、3になるとこれは難しい。セミリタイアという生き方は、世間的には白い目で見られることでしょう。働き盛りのいい大人が、ほとんど働いていないというのは現代日本社会では「異常」として認知される。「まとも」ではないのです。

それに、セミリタイアの場合は節約した質素な生活が基本となるので、そんな貧乏くさい生活はイヤという人が大半でしょう。

4も難しい。一見、他人には迷惑はかけていないように思いますが、それはよく考えていないから。

セミリタイアすることで、家族、特に両親を苦しめ不幸にしているかもしれない。親というものは、子どもが人並みの人生を歩んでほしいと思っているものです。つまり「人並み」というのは、仕事をして家庭を持ち、小市民的な幸福を持ってほしいということ(この「幸福」こそ、氏が嫌いなものなのですが)。その点、セミリタイアはこれを裏切るケースが多い。

また、セミリタイアをした者の存在が、正社員の職を渇望しながらそれを得られず非正規雇用に甘んじている人を惨めな思いにさせ苦しめ、不幸にしているかもしれない。

また、将来の人事計画を立てていた会社の人事部を困らせ不幸にしているかもしれない。

逆に、セミリタイアしなかった場合は完全に逆になります。3は満たされるでしょうが、1と2を犠牲にすることになります。

4はいずれにせよ満たされません。両親を苦しめずに済むかもしれませんが、自分の仕事の「できなさ」で会社の上司を苦しめているかもしれない。職場の非正規雇用の人が自分のほうが仕事ができるのに、なぜあいつが正社員で自分が非正規なんだと苦しめているかもしれない。

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結局どうすればいいのか

結局、セミリタイアしようがしまいが「幸福」になれないということですが、それでも優先順位があるのではないでしょうか。

要件のうち、1と2は自分に関することですが、一方3と4は周囲の人間に関することです。

もし、いずれにせよ幸福になれないのであれば、1と2を優先すればよいのではないか。それは言うまでもなく「エゴ」をつらぬくということです。

周りの人間がどう思うと、どうなろうと関係ない。自分の欲望と信念を優先する。それでも「幸福」ではないでしょう。同時に、周囲の人びとを不幸にしているのですから。その「真実」を忘れずに生きていくことが真摯な生き方ではないでしょうか。

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