「セミリタイア」はサラリーマンにとって禁断の果実か

セミリタイア

セミリタイアを志してから取組を始めて2年目である今年も、残すところ4か月となりました。

つまりは、セミリタイアを意識した生活を始めて2年が経過しようとしているわけですが、最近はその「デメリット」も感じ始めました。

どういうことかというと、「セミリタイア」を意識すればするほど、ますます「会社に行きたくない」という思いが増幅してくるのです。会社を辞めたあとの生活を想像したり、セミリタイアまでかかる時間を考えると、この苦行から早く解放されたいという思いが日に日に増していって、こころがしんどくなる。

どうも、「セミリタイア」という考えは、サラリーマンにとっては「禁断の果実」なのではないかというお話。

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「禁断の果実」とは?

禁断の果実は、旧約聖書に出てくるお話。

神様がこの世界を作って(天地創造)、自分に似せて作りだした人間がアダムとイブです。

2人はエデンの園と呼ばれるところに住んでいましたが、神から「善悪の知識の木」の実は食べてはならないと言われていました。しかし、蛇にそそのかされたイブとアダムは知識の実を食べてしまいます。

これを知った神は2人を楽園から追放し、生きるために苦役を課されたというお話。

アダムとイブが食べた知識の木の実が「禁断の果実」です。

禁断の果実を食べたことで、楽園から追放され、苦労や苦痛に苦しみながら生きる結果となりました。

このお話から「禁断の果実」とは、手を出してはいけないもの、手を出せば苦しみがもたらされるものを表すようになったということ。

セミリタイアは禁断の果実である

会社に行きたくないと思っている人はたくさんいるはずです。私もその一人です。

しかし、そこでセミリタイアという発想を持っているか持っていないかで、意識に違いがあるのではないかと思うのです。

私も、セミリタイアという概念を知る前は、会社に行きたくないと思いながらも、どこかしょうがないというか、そういうものだという感じでしかありませんでした。会社を辞めたいと思うこともありますが、そんな非現実的なことを考えても仕方がないといったところ。

ところが、一旦セミリタイアという概念を手に入れると、「もしかしたら本当に会社を辞められるかもしれない」という意識になってきます。

資産運用のことを調べたり、今後のキャッシュフローの計画を考えたりして、ぼんやりとでもセミリタイア計画の輪郭が浮かび上がってきます。そして、あと○○年耐えればセミリタイアできるかも、となります。

そうすると、ますます会社に行くのが苦痛になってくる。早く辞めたい、早く辞めたいというこころの叫びが大きくなってくる。早期退職というこれまで夢物語でしかなかったことが現実になる可能性が出てきたことで、それを求める気持ちが強くなってきたのです。

会社なんて本当にしょうもない、こんなことで人生の貴重な時間を浪費していることが本当にもったいない、バカバカしいという思いが頭を占拠するようになる。

すると、当然のことながら会社に行くのが以前にも増して苦痛に感じるようになりました。精神的にしんどい。セミリタイアまでの年月を耐えられるだろうか。

禁断の木の実を食べたことで、楽園から追放されて苦しみを味わうことになったアダムとイブのように、セミリタイアという概念を手にしたたために「なんとなくサラリーマンとして生きていく」という楽園から追放されて、苦しみを与えられたかのようです。

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それでも前に進むだけ

禁断の果実を食べたことで、苦しみを味わうことになりましたが、もうどうしようもありません。

もう、逆戻りはできないのです。

セミリタイアというものを知らなければ、もしかしたら平凡にサラリーマン人生を歩んでいたかもしれません。

でも、セミリタイアという禁断の果実を食べたからには、もう前に進むしかありません。

苦しみの果てには、きっと「約束の地」カナンが待っていると信じて。