「セミリタイア」と「人生を半分降りる」の共通点と相違点

セミリタイアの考え方

セミリタイアを目指しているティベリウスです。

もっと正確に述べれば、私が目指しているのが「セミリタイア」、そして「人生を半分降りる」という生き方です。

セミリタイアについては、よく聞く(?)キーワードですが、「人生を半分降りる」はあまり有名なものではないと思います。

「人生を半分降りる」とは、哲学者の中島義道氏の著書から得た生き方で、以前に著書の紹介もしました。

【書評】中島義道「人生を半分降りる」はセミリタイアへの道しるべになる
今回紹介する中島義道氏の「人生を半分降りる」は、会社に勤めながら「半隠遁」を目指すための考え方を知ることができます。

私はこれまで「セミリタイア」と「人生を半分降りる」をほぼ同義として扱ってきましたが、厳密に言えば、重なる分部はあるものの、まったく同じというわけではありません。

そこで、今回はこれらの概念の共通点と差異について改めて考えてみたいと思います。

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「人生を半分降りる」とは?

まず、「セミリタイア」と「人生を半分降りる」について、それぞれ定義をしておきましょう。

セミリタイア:ある程度の資産を形成して、仕事(特にフルタイム)を辞めて、資産の取り崩し、配当金、パートタイムの仕事での給与などで生活をしていく生き方。

セミリタイアについては、こんな感じだと思います。ポイントは仕事、特にフルタイムの仕事を辞めるということではないでしょうか。

会社に依存する生活から、自分が主体となる生き方へのチェンジです。さらに完璧な経済的自立を達成できれば、「FIRE」となるわけです。

では、「人生を半分降りる」とは、どのような生き方か?

中島氏の著書から引用します。

べつに大学や会社に辞表をたたきつける必要はなく、月給だけもらってなるべく好き勝手なことをする。そのためには細かな計算をして、「必要がない」と思ったことからはさっさと手を引く。そして、できるだけ人づきあいを制限して孤立して、「自分が今生きておりもうじき死ぬこと」を考える。そして、このことをつねに見据えながら、残りの人生を何をすべきか考える。

社会で生きていると、なんと多くの「どうでもよいこと」に時間を奪われていることでしょう。

仕事は言うまでもなく、社交という名の仕事の付き合い飲み会や冠婚葬祭、接待などなど、あらゆるものが「私の時間」を奪っていきます。

中島氏はそういうものからできるだけ手を引けと言っているわけですね。極力無駄な人づきあいをしないで「自分の時間を確保せよ」と強調しています。

共通点

共通点①:「自分の時間」を最上のものと考える

共通点としては、両者とも「時間」というものをキーワードとしています。

セミリタイアも、結局何が目的なのかと言えば、会社や仕事に縛られることなく、自分の人生の時間をより有意義に使うためと言えるのではないでしょうか。

そして、「人生を半分降りる」も「自分の時間を確保せよ」ということが最大の目的なのです。

著書では、「自分のための時間を確保せよ」という言葉から始まります。

セネカは、いかに自分の時間が大切か言葉を尽くして語っています。彼のいう時間とは「余暇」と言い換えてもよく、公的なことや義務的なことのために使う時間ではなく、「自分のために使う時間」のことです。ほんとうに、彼はあたりまえのことを言っているのに、多くの人は彼の言葉にうなずきつつ反対のことをなしている。そして、そのまま死んでいくのです。

このことはセネカが「人生の短さについて」という本の中で語っています。
【セネカ:人生の短さについて】人生の時間は有限、有効に活用するには?
私がセミリタイアをしたい理由は、何より自分の時間を大切にしたいと思っているからです。会社勤めをしている現在、通勤時間や残業を含めれば、1日の大半を仕事のために使っていることになり、そのほかは食事や睡眠しか残りません。
共通点②仕事の比重を低くする
セミリタイアは会社を辞めてしまうのですから、人生における仕事の比重はかなり低く考える生き方です。

「人生を半分降りる」も同様です。仕事というのは、「時間」を奪っていくものの親玉みたいなものですから、できるだけ関わらないようにします。特に「出世」しないことが重要です。

出世をすると、会議やら懇親会やら、あるいは面会・陳情など、偉くなればなるほど自分の時間がなくなっていきます。「自分でなければできない」と思うのは単なるうぬぼれであり、多くの場合は別にその人でなくても別の人でもよいのです。その人がいなくなれば、他の人が取って代わるだけ。

そうであれば、なぜ自分が進んで自分の時間を失うような立場になることがあるでしょうか。

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相違点

相違点①会社を辞めるかどうか
セミリタイアでは当然のことながら、会社を辞めるということになります。それが、最大の目的でもあるのです。

一方、「人生を半分降りる」においては、会社は必ずしも辞める必要はありません。仕事をしながらでもあっても、会社は月給をもらうところと割り切って、できるだけ余計なことから手を引く(飲み会に行かない、社内の権力闘争に関わらない)という姿勢をとるのです。そうやって、できるだけ自分の時間を確保しようという試みなのです。

相違点②社会との関わり方

また、社会との関わり方も必ずしも一致するとは限りません。

セミリタイアにおいては、もちろんほぼ引きこもりのようなライフスタイルもあり得ますが、セミリタイアしたことでより積極的に自分の活動を広げていくというスタイルもあると思います。

自分の好きにできる時間が増えるわけですから、それを使って新たな社会との関わり、それも自分の望むような関わりを作っていくことも可能です。

一方、「人生を半分降りる」は、できるだけ社会との関わりを無くすことを目的とします。

「半隠遁」とも言うべきスタイルです。片足だけ社会に足をつっこんで、最低限の関わりに抑える感じです。

ただ、自分の望ましい付き合いだけに限るという点においては、同じと言ってもよいかもしれません。

両方を目指します

「セミリタイア」と「人生を半分降りる」について、共通点と相違点を考えてみました。

こうして見ると、相違点はありながらも、かなり似通っていると思います。

イメージとしては、中学校で習った「集合」の概念のように、二つの円は完全に一致しないまでも、共通する領域がかなり多いのです。

「人生を半分降りる」の正確な延長線上に「セミリタイア」があるように思います。

今後も両方を達成できるように取り組んでいきます。

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会社に行きたくない~セミリタイア15ヵ年計画~