セミリタイアの最大の関門は「親」かもしれない

セミリタイアの考え方

セミリタイアという目標に向けて投資や節約、そしてこのブログの運営を行っているわけですが、セミリタイアをするにあたっての課題とはなんでしょうか。

頭に浮かぶのは、なんといっても「お金」のことです。セミリタイアしたあと、どんな生活を送るのか、そしてその生活をするためには、どれくらいの資産を作っておく必要があるのか・・・

セミリタイアとは、所詮は「お金」の問題であることを痛感します。

その一方で最近、気になっているのは、「親」のことです。自分の両親には、セミリタイアのことは一切話していません。話したところで、まともに取り合ってくれないような気がしているからです。

でも、「そのとき」が来れば、話をせざるをえないかなと感じております。そして、それがセミリタイアの「最大の関門」かもしれないと思い始めています。

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親というものは・・・

私は現在、実家で生活しています。これは、住宅費を浮かせるという経済的な理由もあります。そして、実際に実家暮らしのおかげで、かなり貯金をすることができています。その点、親には感謝しておりますし、また、親との関係は良くも悪くもなく、至って「普通」ではないかと思っています。

とはいえ、セミリタイアしたいと言った場合に、どのような反応があるか・・・

親というものは、いくつになっても子供の心配をするものでしょう。それは、私の両親も変わらないはずです。そして、親というものは、子供が無事に人生を終えることだけを願っている人種です。子供が警察の御厄介にならずに健康で、できれば結婚し家庭を持って幸せに「フツ―」の人生を歩み、「人並み」に生活してほしいと思うものではないでしょうか。社会から排除されずに暮らしてほしいと思う。

そういう観点からすれば、セミリタイアというのは、まさに「親不孝」な行為になるのでしょうね。

たぶん、会社を辞めるという話をすれば、かなり反対されるのではないかと思います。もちろん、私がセミリタイアを予定しているのは40代ですので、「自分の人生は自分で責任を持って決める」という姿勢を貫けばよいことではあるのですが・・・

親を捨てる覚悟が必要か?

そうなると、親を捨てる覚悟が必要かもしれません。

「夢」の実現を阻んでいるのが、多くの場合、親ということもよくある話ではないでしょうか。

芥川龍之介の作品で「杜子春」というものがあります。ある若者が仙人になるための修行をします。その修行は、眼前で何が起ころうとも沈黙を守ることでした。いろいろな試練に耐え、あと一歩で仙人になることができるというところまできます。そして、最後の試練に臨むのですが、そこに鬼どもに鞭打たれている父母が表れるのです。

仙人になるために耐えるべきかどうか。杜子春のこころは大きく揺らぎます。そして、苦痛に喘ぐ父母を見るに耐えかねず、「お母さん!」と叫んで仙人になることをあきらめたのです。

確かにまともな人間なら、父母を助けるのが普通かもしれませんが、あえて仙人になることを選ぶという選択もありうるのではないかと思います。もちろん、親の苦しむ様子に耐えられず、「夢」をあきらめたとしても誰も非難はできないでしょう。

ただ、親のことを「尊重」しすぎると、真の意味で自分の人生を生きることができないのではないかと思います。親を精神的に捨てる覚悟も必要かもしれません。

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そのときが来るまではとりあえず現状維持

考えれば考えるほど、やはり最大の関門は親のような気がします。会社に「辞めます」というのも、勇気がいるような気がしますが、所詮は赤の他人です。辞めてしまえば、その後の人生で関わることはない人たちです。その点では、割り切ることができるかとは思いますが、親は違います。

どこまで行っても、親と子の関係は切れません。そこが難しいところです。親の望みを裏切るような形になり、それが一生続くのですから。

とりあえず、今のところは、現状維持としたいと思います。親の問題をどうするかということも、セミリタイアに向けた課題です。

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会社に行きたくない~セミリタイア15ヵ年計画~