飲み会嫌いが考える飲み会の理想的な断り方

仕事論

先日、職場の飲み会に誘われました。

どうやら、私の職場のヒラの社員はほとんど参加のようです。事前に開催を通達するようなものではなく、なんとなくノリでその日に開かれることになったと思われます。

「ティベリウスさんも、どう?」

「・・・」

予期していない不意打ちとは、まさにこのこと!

前々から決まっているものならば、ある程度の諦めもつくというのに、当日のそれも夕方に誘われるとは!心の準備というものが必要なのに。

しまった。その日は、上司がそろって不在でそういう話がしやすい雰囲気の日であった。以前にも、同じようなシチュエーションの時に飲み会をすることになり、いやいやついていったことがありました。警戒すべき条件がそろっていたのに、注意を怠るとは我ながら不覚であった。

ところが、今回はこの後飲み会に行くのを断ることができたのです。

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これまでの努力が実を結んだ?

「ティベリウスさんも、どう?」

「・・・どうしようかな」

そのあと、次のように言われました。

「無理しなくても大丈夫だよ」

と言ってくれました。私にとっては、渡りに船の助け船です。どうやら、私が飲み会が好きではないということが周りに認識されつつあるようです。

これまで職場の飲み会に出ても、1滴もお酒を飲まずウーロン茶だけを飲み続けてきた甲斐がありました。

本来ならば、こういう形ではなく、はっきりと「行きたくない」と言えばいいのですが、そうすると角が立つような感じがしてなんとなく気が引ける。そうして、結局参加して「あー、来なければよかった」と思うということが何度あったことでしょう。

「嫌われたくない」「空気の読めない奴と思われたくない」という自己保身のせいだということは理解していますが、やっぱり難しいものです。

そういう場合は、「飲み会が苦手」ということを周囲に悟らせるということが現実的な方法ではないでしょうか。

そのために、宴会ではお酒は飲まない。また、飲めないことをアピールする。あまりしゃべらない(全然、興味がないので自然とそうなる)ようにしてきました。

今回は、その甲斐あって無理はしなくていいと言ってくれたのかもしれません。

「では、今日は帰ります」と言って帰りました。やったね!

今後は「誘われなくなる」のが目標です

今回は不意打ちだったのでさすがに焦りました。

事前にメールなどでお誘いがある場合は、こころの中で「ケッ、そんな時間とカネの無駄使いなんかしたかねぇんだよ!バカヤロー!」とつぶやきながら、「お誘い、ありがとう。是非参加したいんだけど、その日はちょっと都合が悪いので欠席します。次の機会には是非。」という心にもないお返事を書けばよいのです。

しかし、最近はこうした「欺瞞」的態度を取る自分がイヤに思えてきました。断りつつもしっかりと自己保身をしている(本当は行きたいという感じをにじませるという技巧的態度)のが、やっぱりセコイ。

今回は、一応声をかけてもらい、それを断ることができましたが、今後はそもそも「誘われなくなる」のが理想です。

そうすれば、こちらもいろいろと悩むこともないですし、向こうも余計な気を使う必要もなくなって、お互いによいと思うのですが。

世の中には、自分だけ声をかけられなかったとか、自分抜きで話が進んでいたと言って怒る人がいますが、私はむしろ逆。どうでもいいことに関わらなくて済むのでどうぞ私抜きでやってくださいという感じ。

まあ、おかげで着々と社会から転落して「人生を半分降りる」に近づくことができるのです。

飲み会ほど時間とお金の無駄はありません。

飲み会という名の拷問の非生産性について告発する!
でも、なんでそんなに酒を飲みたがるのか理解できません。飲みたければ、勝手に飲んでいればよいものを!どうして、職場の親睦といえば、条件反射的に飲み会を設定したがるのか。今もって、その理由は不明です。まあ、そういう短絡的な発想しか頭にないのでしょうね。しかし、飲み会のなんと非生産的なことか…

「人生を半分降りる」ことによって、より自由に生きることを目指します。

【書評】中島義道「人生を半分降りる」はセミリタイアへの道しるべになる
今回紹介する中島義道氏の「人生を半分降りる」は、会社に勤めながら「半隠遁」を目指すための考え方を知ることができます。
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