人間嫌いとセミリタイアには親和性があると思う。

セミリタイアの考え方

私は、セミリタイアをしたいと考えていますが、なぜセミリタイアをしたいのでしょうか。それを突きつめて考えていくと、「人間嫌い」だからではないかと思うのです。

そして、「人間嫌い」は「セミリタイア」と親和性があるのではないかと思うのです。

セミリタイアしたいと思っている人が、必ずしも人間嫌いとは限りませんが、その逆、人間嫌いの人はセミリタイアという概念について、案外すっと自分の中に入ってくるのではないか、そう思うのです。今回は、人間嫌いについて考えてみたいと思います。

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「人間嫌い」とは?

「人間嫌い」にもいろいろな種類がいると思います。

まず、単純なタイプとして『人間はウソをつくから嫌い。誰も信じられない。』というタイプ。このような人は、人間不信と言い換えてもよく、人間が信じられないために、動物のペットに癒しを求めたり、人間は人間でも「二次元の人間」しか好きではなかったり、純朴な子供なら好きという人が多いのではないかと思う。そこに共通しているのは、「自分を裏切らない」ということ。たぶん、人生の中で、いじめにあったとか、信頼していた人に裏切られたとかそんな経験から、人間不信に陥るタイプだと思います。

これは、比較的単純なタイプで、「人間嫌い」というとイメージする典型的なものではないでしょうか。

私が、ここで考えたいのは別のタイプの人間嫌いです。それは、表立っては人間嫌いであることを見せることがない人です。むしろ、人当たりがよく社交的な人間嫌いともいえる。きわめて高度な技巧を使って、人間嫌いであることを隠して生活している人、こういうタイプの人間嫌いです。私も、そういうタイプだと認識しています。

「共感」を強要される不快感

第二のタイプの人間がなぜ人間嫌いかというと、それは「自分の考えや感受性に対してウソをつくことに苦痛を感じている」からなのです。

どういうことかいうとと、人間は一人一人違うのですから、その感情や考え方が異なって当然です。しかし、社会で生きていく上では、その「ナマ」の感情を語ることは多くの場合、禁じられています。

職場の飲み会なんて、「そんな気分じゃない」という一言で、断ることもできるのに、そう言うことがはばかられる。なぜかと言えば、その場ではそう語ることが是とされていないから。他人を不快にし、その場の空気をよどませてしまうから。

相手について、何の興味もないのに、何か話をすることを求められる。そして、共感の意を示すことが強要されます。

この人間社会では、「共感」することが求められます。そこで語られるのは、「実際に自分が共感していること」ではなく、「共感すべきこと」が求められる。

社会に目を向ければ、「共感すべきこと」ばかりが語られています。身体に障害がある人には、同情と励ましを述べねばならず、災害の罹災者には全身で同情を示さねばならず、若くして大病を患ったスポーツ選手にも同情と励まししかしてはいけないのです。みんな感じていることは、人それぞれのはずなのに、口から出てくる言葉は、恐ろしいほど一致しています。そして、こうした「共感すべきこと」からはみ出した者は、徹底的にたたかれる。

共感していないのに、共感しているふりをし、逆に共感しているのに共感していないふりをするというゲームが延々と続いているのです。

社会という大きな枠組みでの共感ゲームは、そのまま身近な生活にも完璧な縮小コピーとして現れるのです。

しかし、ここでも2種類の人間に分かれます。一つは、こういうゲームを当然のこととして受け入れている人。まるで、呼吸をするかのように、なんの抵抗もない人です。悲しむべきときに悲しむふりをする、楽しむべきときに楽しいふりをすることができる人。そして、そうすることになんの自己嫌悪も覚えない人。むしろ、社会人たるもの当然のことだというくらいに思っている人です。

一方、もうひとつの人間は、こうした技巧的ゲームが求められていることは頭では理解しているが、自分の感じたこととは明らかに違うことを語らなければならないことに、自己嫌悪と不快感を感じる人です。そう感じながらも、ゲームを続け、むしろ表面上は社交的にさえなってしまいます。そして、さらに自己嫌悪に陥るという悪循環にはまるのです。「自分の考えや感受性に対してウソをつくことに苦痛を感じている」ということなのです。そして、そうしたことを強要する人間そのものが嫌いになるのです。

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自己嫌悪から逃れるためには・・・

こうした共感ゲームから生じる自己嫌悪から逃れる方法は、世間から社会から(鈍感な)人間から距離を置くことです。なるべく、人と付き合わないことしか方法はありません。

それが、人間嫌いはセミリタイアと親和性があるのではないかと思う理由です。セミリタイアすれば、濃厚な人間関係が渦巻く会社という組織に縛られなくなります。人間との付き合いも自分の裁量で決められる範囲が広がることでしょう。

人間嫌いは、ここまで述べてきたとおり、ある意味では精神未発達と言う面もあるかもしれません。「おとな」になってないだけという人もいるでしょう。頭では分かっていてもやっぱり、組織の中で円滑な人間関係を続けていくことは、そのための技巧をこらしていくことは、疲れて仕方がない。

私のような人間嫌いは、早いところセミリタイアしてしまったほうがよいのです。その方が、お互いのためなのですから・・・