年賀状という風習を辞めればいいのではと思う理由

人生哲学

年末の時期になると「年賀状」がらみのテレビCMを見る機会が多くなります。郵便局しかり、印刷会社しかり。

しかし、よく考えてみれば、みんななぜ年賀状を出そうとするのでしょう。

「えっ、みんなが出しているから?」という答えが一番多いような気がします。そう、みんな深い意味もなく年賀状を出しているのです。風習というか慣習というか、そういうものに盲目的に従っている。

個人的には、年賀状という風習は辞めてしまっても、まったく問題ないのではないかと思っています。というか、辞めればいいのに。

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そもそも、年賀状を出す理由がない

そもそも、なぜ年賀状を出すのでしょう。「新年のあいさつをするため」という答えが返ってきそうですが、それ以外になにかあるかと言えば、ない。

そう、裏を返せば年賀状は「新年のあいさつをするため」ということでしかないのです。

つまり、特段用件があって出すわけではない。お金が足りないから貸してほしいとか、遺産相続の話し合いをしたいとか、万引きをして捕まったので身元保証人として警察まで来てほしいとか、なにかどうしても相手に伝えなければならないことがあるわけではないのです(上記の場合、手紙というよりは電話かもしれませんが・・・)

特に用件がないことの証拠に、ほとんどの人は年賀状をプリンターで印刷してポストに投函するだけ。場合によっては印刷会社に、デザインの印刷はもちろんのこと、あて名まですべて印刷してもらっているのです!

これって、何の意味があるんだろうかと、考えないものなのか不思議です。

資源の無駄ではないのか?

前述のように特段の用件があるわけでもないのに、日本中で年賀はがきが使われているのです。これって、資源の無駄ではないのでしょうか。

スーパーやコンビニのレジ袋を有料化して利用量を削減しようとか、コーヒー店でストローを削減しようとか、世界中で若者が環境問題についてデモをやっているとか、近年環境問題に対する関心は高くなっています(とはいえ、個人的にはウサンくさいと思っていますが・・・)

レジ袋を削減しようというなら、年賀状も辞めてしまえばよいと思うのですが。

下記の記事によれば、2019年の年賀状発行枚数は約24億枚とのこと。2004年の最高44億枚に比べればかなり減っていますが、それでも24「億」枚という量。

平成最後の年賀はがき、発行枚数は平成最低?:一等賞品、ミシンから現金30万円へと変遷
携帯電話の普及、SNSの流行とともに、年賀はがきの発行枚数は漸減している。平成最後の年賀はがきは平成最低の発行枚数になりそう…。

レジ袋は、まがいなりにも必要性があると思いますが、特に用件があるわけでもない手紙が、日本中で24億枚も使われているのは、資源の無駄としか思えません。

結局、郵便局が儲けるだけなのではないかとも思います。とはいえ、郵便局も苦しいようで、そのために「ノルマ」があるのでしょう。いわゆる「自爆」することになる郵便局員もいるらしい。

また、元日から年賀状を配達しなければならない人ももいるのです。働き方改革というなら、やめればいいのでは?とも思います(これで稼いでいる人もいるのでしょうが・・・)

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年賀状を送るのは「失礼」である

多くの人が、プリンターで印刷して、あるいは印刷会社に委託して作った年賀状を送っているのは前述のとおりです。

送らなかったら失礼になると思ってのことだと思いますが、よく考えてみれば、そんな年賀状を送るほうがかえって失礼になるのではないかと思うのですが。

つまり、本当に相手のことを考えて送っているのではなく、盲目的に慣習にしたがった結果、とりあえず送っておけば大丈夫という怠惰でしかないのです。

その証拠に、誰に対しても同じ絵柄、同じ文面です。相手の個性など微塵も考慮していないのです。すべては、機械的に処理されるのです。

相手のことを大事に思っている「ふう」を装いながら、自分は安全なポジションを維持しようとしているのですから、始末が悪い。

そして、誰それから来なかったとか、誰それに返事を送らないといけないとかいったことしか考えていない。年賀状の中身には特に関心がないのです。

考えれば、考えるほど「アホらしく」思えてきます。

ということで、私はもう何年も年賀状を出していません。まあ、元々人づきあいが悪いので、送ってくる人もほとんどいなかったですが・・・

年賀状の風習を辞めれば、みんな「ハッピー」になると思うのですが、いかがでしょうか?

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