年賀状は不要の産物である

人生哲学

年賀状を郵便局に丸投げできます!

 

 

毎年12月の時期になると、年賀状の準備を始める方も多いのではないでしょうか。テレビでも、CMが流れ始めます。しかし、そもそも年賀状は必要なのでしょうか?

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年賀状は何のために出すのか?

そもそも、年賀状は何のために出すのでしょうか。

元々は、お世話になった人に日ごろの感謝を伝えるとともに、新年もよろしくお願いしますという新年のあいさつ回りの代わりといったものです。

それを、近代明治時代以降の郵便制度の発達とともに、手紙で送るという文化ができてきたのです。

そう、本来は、目的が先にあって、それに郵便制度という便利なサービスを利用していたということなのです。

ところが、現代では、どうでしょうか?

郵便局が”丸投げ”を宣伝する時代

近年では、年賀状のデザインを決めて、差出人の名前やあて名の印刷を業者に発注するというサービスが登場しています。

さらには、郵便局が同様のサービスを展開しており、有名アイドルグループを起用したCMも流しています。そこでは、郵便局にすべて「丸投げオッケー」みたいなことが宣伝されています。

しかし、これってどうなのでしょうか。

「日ごろお世話になっている人に、感謝の気持ちを伝えよう」などと言っている一方で、すべて「丸投げ」させようとしているのは、どう考えてもカオスです。末期です。年々減少している年賀状の取り扱いをなんとか維持して稼ごうと、郵便局も必死なのでしょうが。

もはや、「年始のあいさつをすること」が目的ではなく、「年賀状を出すこと」それ自体が目的と化しています。手段が目的となってしまっているのです。

郵便局や業者に丸投げしなくても、ほとんどの人が、プリンターで適当なデザインとテンプレートのあいさつ文、あて名を印刷し、ポストに投函しているだけです。そこに、「日ごろの感謝の気持ち」や「温かい思いやり」などは、とうてい感じられないでしょう。

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意味のない年賀状は不要である

このように、今では年賀状は、ただ出すことが目的となっています。書いてあることも、ほとんどの人は見ていません。では、何を見ているかというと、「誰から送られて来たのか」なのです。

ここに、大きな「暴力」が隠されているのです。こちらから出したのに、相手からは来なかったりすれば、相手に軽んじられたような気がして、年賀状すら送ってこないやつと一方的に断罪し、遅れて送ってきても、時すでに遅しなのです。

また、こちらが送っていない相手から年賀状が届くと、急いで年賀状を送らねばなりません。そうしなければ、最低限のマナーもないやつとこれもまた断罪されてしまうのです。

そう、みんな心の中では、「めんどくさい」と思いながらも年賀状を出すのは、社会的評価を落としたくないという「ゲーム」に参加しているからなのです。社会から、世間から、仲間内からつまはじきにされたくない、ただそれだけのためにせっせと年末になると、時間とお金をかけて、意味もなくプリンターで年賀状を印刷しているのです。

ゲームから降りると楽になる

私が、やりたいと思っている「人生を<半分>降りる」は、こうした意味のない社会的ゲームから降りて、貴重な時間やお金を浪費しないようにすることなのです。

「人生を<半分>降りる」の著者である中島義道氏も、その思想実現のため、年賀状を出すのをやめたそうです。そのために、自分の思想を説明した手紙を書き、随時年賀状の送付をやめていったそうです。

私も年賀状はやめています。そもそも、年賀状のやりとりをするような人が少なかったので、そんなに難しくありませんでした。こちらから送るのをやめ、向こうから来た場合のみ返信していました。そうしていれば、だんだんと向こうからも来なくなります。

こうして、社会からはきちんと「転落」し、思想実現に一歩ずつ近づいていっているのです。社会的ゲームに参加することをやめると、余計なことに精神を使う必要がなくなるので、気持ちが楽になりますので、おススメです。

ただし、それに伴う結果には、自分で責任をとっていただくようお願いします。

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