セミリタイアとは究極の「エゴ」の実現である

セミリタイアの考え方

夏目漱石の代表作「こころ」は、人間のエゴを描いたものといわれています。「エゴ」とは、「エゴイズム」のことで、日本語で言いなおせば「利己主義」となります。自己中心的、「ジコチュー」と揶揄されることもあります。

早い話が、「自分が一番大事」ということですね。人間というものは、程度の差はあれども、みんな「エゴ」です。

自分の立場が悪くなりそうになったり、損をしそうになると、「自己保身」に走り、友人を裏切るなんてこともよくある話です。もちろん、裏切った場合の損失と天秤にかけて、の話にはなるだろうけれど。

「セミリタイア」というのも、そうした「エゴ」の究極のものの一つではないかと思うのです。

なぜなら、セミリタイアとは自分が自分の時間を自由に使えるようにしたい、自分のためだけに自分の時間を使いたいという願望が根底にあるからです。社会のためでもなく、会社のためでもなく、ほかでもない自分(と家族)のために、自分の限りある生(時間)を使いたいというものであるのだから。

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エゴイストは嫌われる。

人間の世界では、とくにこの日本という国では、エゴイスト=自己中心的=ジコチューは、極度に嫌われています。

中島義道氏も「人生を半分を降りる」の中で、次のように語っています。

ところで、この国で何が嫌われるかといって、自己中心(主義)的なヤツほど嫌われる者はいない。他人の気持ちを配慮せず、全体の空気を顧慮せず、ストレートに自己主張する人は忌み嫌われます。この嫌悪感は驚くほど根強いものであって、ほとんどの人は気がつかないうちに理屈抜きで自己中心主義者を排斥しいや迫害しているのです。

セミリタイアは、自己中心主義の最たるものでありましょう。会社を辞めることによって、上司や同僚を始めとする会社の事情を無視することになりますし、「辞められると困るんだよ」という職場の空気を無視することになります。

家族にとっても、「まともに働いて人並みの人生を歩んでほしい」という希望を無視することになります。

また、セミリタイアは「会社を辞めたい」とストレートに自己主張することにほかなりません。「心の中では、みんなそう思っているけど、それを言ってはおしまいだろ!」という(こころの)声が聞こえてきそうです。

「そんな自分勝手なことが通用すると思うのか!」と怒鳴られて当然(?)かもしれません。

とかく、この国ではエゴを貫くというのは、非常な困難を伴うことが分かります。

自己中心的に「生き生き」と生きよう!

とはいえ、そんな周囲の空気に遠慮していては、自分らしく生きることが難しいことも事実です。

みんな、本能としてある「エゴイズム」と理性としてある「社会性」の間でバランスを取り生きているのです。エゴを貫くほうが自分にとってトクであれば、そうするし、エゴを抑えて周りの空気を読んだほうがトクと判断すればそうするまでのこと。意識してか無意識かは分かりませんが、みんな器用に世渡りしています。

そうした人が、会社で出世したりするんでしょうね。

ただ、私はそうした「技巧的ゲーム」が無性にむなしくて仕方がない。そんなことに頭をフル回転させて、貴重な時間を失っているのですから。

会社の飲み会に参加するかしないのかもそうしたゲームの典型でしょう。たいがいは、空気を読んで参加せざるを得ないのですが。ストレートに「そんな気分じゃないんで」といって断ると、やはり「ジコチュー」という烙印を押されてしまうのでしょう。

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そうして、むなしいゲームで消耗しないためにも、やはりセミリタイアが必要だと痛感します。どうせ、ジコチューと非難されるのであれば、徹底的に「ジコチュー」になってやろうではありませんか。

自己中心的に生きることで、より「生き生き」と生きることも可能です。会社を辞めて、好き勝手に生きてやろうというのがセミリタイアなのだと思います。

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セミリタイアは究極の「エゴ」の実現である

セミリタイアは究極の「エゴ」の実現にほかなりません。社会のことはどうでもよく、会社のこともどうでもよく、会社の上司や同僚のこともどうでもよく、場合によっては家族のこともどうでもよいかもしれない。

そういったものを差し置いて、ただ自分が自分の時間をできるだけ好きに使いたいという願望を実現させるわけです。究極の「自己中心的」思考でしょう。ですから、非難を受けてもまあ仕方ないかなと思います。

それでも私は、セミリタイアしたいと思います。

たった一度の人生ですから、好きに生きたいという思いがあるからです。広大な宇宙のなかで与えられたたかだか100年足らずの時間をムダなく生きたいと思うのです。自分を優先させて何が悪いのでしょう。人に迷惑をかけてもいいとまで思います(もちろん、犯罪はいけませんが)。40年も行きたくもない会社に行き続けるなんて絶対にイヤです。

人生の終わり近くになって、「オレの人生って何だったんだろう?」というのは避けたい。

最後に、セネカの言葉。

生きることをやめる土壇場になって、生きることを始めるのでは、時すでに遅しではないか

セミリタイアの考え方
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会社に行きたくない~セミリタイア15ヵ年計画~