いかにごまかして生きるかをごまかさずに考えたい

セミリタイアの考え方

セミリタイアを目指しているティベリウスです。

今回は、タイトルにあるように「いかにごまかして生きるかをごまかさずに」考えたいと思います。

つまるところは、いかにごまかして生きるかということが、私にとってはセミリタイア、あるいはそれに向けた生き方ということなのですが。

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適当にごまかして生きる

ごまかすとはどういう意味か?

「ごまかす」とは、都合の悪いことを隠したり、相手に分からないようにすること。あるいは、質問などについてまともに答えないで、うやむやにすること。ー実用日本語表現辞典

私がイメージする意味は、後者のほう。つまり、うやむやにすること。

生きているとやりたくないことばかりです。もっと言えば、できるだけ社会と関わりたくないのです。そうはいっても、まったく関わらないということは、よほどの世捨て人でないと無理ですので(それも悪くないかも)、どこかで折り合いをつける必要があります。

ただ、できるだけ社会との関わりは最小限にしたいというのが、「ごまかす」ということなのです。

できるだけ飲み会には行きたくないし、できるだけ冠婚葬祭には行きたくないし、できるだけ会社の人と関わりたくないし、できるだけ責任の重い仕事はしたくないし、そもそもできるだけ働きたくないし・・・

そのために、できるだけ角が立たないようにごまかしてうやむやにしてそれらを避けていくか、自分の時間を確保するかということを、ごまかさずに考えた結果が「人生を半分降りる」であり「セミリタイア」なのです。

考えてみれば、私がしたくないと思うことのほとんどは、会社がらみ・仕事がらみなのです。そもそも、できるだけ働きたくないと思っているのですから。

最近とみに自分の人生と関係のないことのために、自分の人生の限られた時間を使っているのがバカらしくなってきました。

いかにごまかすか

セミリタイアしたいと思ったはいいものの、当然のことですが今すぐできるわけではありません。

現実として、今の会社でしばらく働いて資産形成に努めなければなりません。組織で生きていく以上、ある程度の人づきあい(飲み会とか)も必要ですし、やる気がないと思われるのも得策と言えません。

そこは、したたかに本心を悟られないように「ごまかして」振舞わなければなりません。すべては、セミリタイアのために。

では、いかにして?

これが「人生を半分降りる」という生き方なのです。

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人生を半分降りるとは?

「人生を半分降りる」とは、中島義道氏の著書から得た考え方です。

【書評】中島義道「人生を半分降りる」はセミリタイアへの道しるべになる
今回紹介する中島義道氏の「人生を半分降りる」は、会社に勤めながら「半隠遁」を目指すための考え方を知ることができます。

半隠遁と言い換えてもいい。再引用になりますが、氏は次のように述べています。

べつに大学や会社に辞表をたたきつける必要はなく、月給だけもらってなるべく好き勝手なことをする。そのためには細かな計算をして、「必要がない」と思ったことからはさっさと手を引く。そして、できるだけ人づきあいを制限して孤立して、「自分が今生きておりもうじき死ぬこと」を考える。そして、このことをつねに見据えながら、残りの人生を何をすべきか考える。

ポイントは「細かな計算」というところです。

例えば、このメンバーなら飲み会に行っておいた方がいいとか、あのメンバーなら断ってもよいと考える。また、この人には恩を売っておいたほうがいいと思えば仕事を手伝うし、自分の仕事も巻き込まれそうだと思えば静観するといった立ち振る舞い。

「必要がない」と思ったことからは手を引くのです。功利主義といってもよいかもしれません。

いかにごまかすかをごまかさずに考えると、その行動は功利的・合理的な、現実主義(リアリズム)になるのです。

こうして、いかにごまかして生きるかをごまかさずに考えた時、ごまかしのない世界が開けてくるような気がします。

さあ、明日からも頑張って「ごまかしながら」生きていくことにしよう。

セミリタイアの考え方
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会社に行きたくない~セミリタイア15ヵ年計画~